教科書無償の運動

今,子どもたちは,新学期をむかえるたびに,真新しい教科書を手にし,ページをめくりながら,これからはじまる勉強に期待をいだき,進級した喜びをかみしめることができます。
 しかし,この教科書も今から50年ほど前までは,みんなが新しい教科書をただでもらえるというわけではありませんでした。

 その頃,教科書は,毎年,新学期をむかえる前に各家庭でそろえることになっていました。3月になると保護者たちは,古い教科書をゆずってもらったり,古くて使えないものや,ないものだけを買いそろえたりして苦労していました。新しい教科書を全部そろえると小学校で700円,中学校で1200円ほどかかりました。一日働いても300円ほどの収入しかなかったのですから,子どもの数が今に比べて多かったその当時は教科書をそろえてやるだけでもたいへんな出費でした。

 1960年(昭和35年)ごろになると,物価も値上がりをはじめ,教育費の保護者負担を軽くしようという動きも出はじめました。このころ,長浜地区の中でも,学校の先生たちや市民会館の館長さんといっしょにお母さんたちの読書会がはじまりました。2年ほどたつうちに,「わたしたちが習った歴史と今の子どもたちが習っている歴史は全然ちがう。わたしたちも子どもの教科書を使って勉強しなおそう。」という声が出はじめ,憲法の学習もはじまりました。

 その中で,憲法26条に記されている「すべて国民は,法律の定めるところにより,その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は,これを無償とする。」という部分が問題になりました。「義務教育はこれを無償とするというのだから,教科書を買うのはおかしいのじゃないか。」「教科書はもともと政府が買いあたえるべきものだ。」「教科書がただでないということは,憲法で定められたことが守られていないということではないか。」ということが,話し合わされました。

 そして,1961年(昭和36年)3月に,長浜地区で行われた会合の中で,「いくら請願しても効果はない。ただで配るまで買わずに頑張ろう。」という提案がなされ,校区のいろいろな団体が中心になって「長浜地区小中学校教科書をタダにする会」がつくられました。
 この会は,各地で集会を開き,署名運動をはじめ,いっしょにたたかう団体もふやしていきました。教科書の無償要求は,憲法を守るための運動であるということに気づいた人々は,この運動をもりあげささえていきました。

 その要求の正しさが理解され,1週間もたたないうちに長浜地区で1600名もの署名があつまりました。その要求を高知市の教育委員会にもちこみ,「憲法を守るために教科書を買わない。」というたたかいを始めました。運動は,新聞やテレビにもとりあげられ注目をあびました。
 教育委員会は,「教科書をタダにする会」との交渉によって,無償の要求は正しいと認めましたが,全員に教科書を配るという約束は絶対にしませんでした。買える能力のある人は買ってほしいという教育委員会の要求をはねのけ,2000名の児童生徒のうち約8割にあたる1600名が,教科書を買わずに新学期がスタートしました。
 学校では,教科書を持たない多くの子どもたちのために,先生たちはガリ版刷りのプリントを使って毎日授業を進めていきました。

 その後,運動の正しさがたくさんの人々や団体・政党に支持され,全国的な運動に発展し,国会で大きな問題として取りあげられました。政府もついにこの要求の正しさを認め,1962年(昭37年)に法律をつくって,翌年から段階的に教科書が無償で子どもたちに配られることになりました。
 私たちが,今なにげなく手にしている一冊一冊の教科書には,このような運動があったのです。

 1961(昭和36)年からはじまった教科書無償の運動から今年で50年目を迎えました。この運動の歴史的な意義や当時のようすを,今の子どもたちや地域の方々など,たくさんの方々に知っていただきたく,教科書無償運動50周年記念パネル展を開催することになりました。

高知市立長浜小学校

【教科書無償運動50周年記念パネル展資料より】・・・パネル展は2012年1月11日から1月20日まででした。